こんにちは!Aitemです。
先日、行われた代表講座(日本語ディスカッション)での感想を初めて参加して頂いた方から頂きました!
Aitem代表講座のことを分かりやすく、また、伝えたいことをすごくわかりやすくまとめて頂きました。本当にありがとうございます。
是非、読んで頂きたいです。
先日友人の誘いで英会話スクールAitemが主催している講座に参加した。
この講座は、ある議題に基づいたディスカッションを通して「自分の意見を伝える」ことを自発的にできるようになることをゴールとしている。
今回の講座では東京医科大学が実施していた女性受験者の一律減点というニュースを深掘りし、「男女差別(区別)はありか、なしか」という議題設定であった。
ここだけを切り取ってみると、真面目で聡明な学生が集まって、辛気臭い顔をしながら話し合っていると言うふうに思うかもしれない。
しかし実際は和気藹々としていて、とても楽しい時間であった。というのも、多くの人はこう言うことに関して「知識」が必要だと感じているのではないだろうか。
しかしディスカッションとは決して知識をひけらかす場所ではない。知っている方が「上」に立っているということも、全くない。
それぞれの「意見」を交わすフラットでカジュアルな場なのである。
人の数だけ意見があり、それが決して多くに共感されないものであったとしても、それは一人の意見であり、なんら否定されるものではない。
日本人は(一概に一括りにするのは好きではないが…。)たびたび、人に合わせることを好む。
自分一人だけが違うことをしていると間違いではなくても自信を失くしたり、自分の意見を飲み込んで人に合わせたりしてしまう傾向があるのではないだろうか。
Aitemの講座ではそうならないためにディスカッションの前にみんなでルールを共有している。
それは
「誰の意見も決して否定しない」
「どんな意見も自由に発して良い」
ということである。
このルールを口に出して共有するだけで、ディスカッションがとても盛り上がったのだ。
それまでは人見知りしがちで意見するのが得意ではないと言っていた参加者も、自分の意見をはっきりとみんなの目を見て伝えていたのだ。
そして誰しもが「自分の思っていることをきちんと言葉にして伝えられて楽しかった」と口にしていた。
私はその姿を見て、私たちは暗黙のルールに縛られて生きているのだと強く感じた。
よく「空気を読む」と言う言葉を日本人は使うが、まさにその空気ばかりを読んで、なかなか自分の意見を多くに伝える、ということをしてこなかったのだと思う。
だからこそ逆に、ルールが明確に見えた時にみんなは真の自分を解放しているように感じた。
このような話ができる友人や両親がいればとても幸福なことであると思うが、みんながみんなそういうわけではないだろう。
だからこそこうやってルールによって明確に意見(異見)が認められる場所が必要なんだと感じた。
このような場所で意見を発信することの重要性や楽しさを感じ、練習することによって私たちは1人の生身の人間として真の意味で人と向き合うことができるようになるのだろう。
もっとも、世の中がもっとフランクに社会問題や政治について話ができる「空気」になれば一番良いのだけれど…(笑)
自分の道を選択する時、例えば受験や就活といった大きな岐路に立たされた時、真に自分の意志や軸に従い、素直に動けている人がどれほどいるだろうか。
変に周りの目、世間体を気にして生きようとはしていないだろうか。もしそういう「空気」ばかりにとらわれている人がいれば是非Aitemの講座に参加してみてほしい。
そしてできることなら、ルールを明確化しなくても、ルールが暗黙の了解となっているような人間関係を自分でどんどん広げていって欲しい。そのようにして培った人間関係はきっと刺激的で一生続くものになるはずだから。